CCDD’s diary

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囓る⑤

マキアヴェリ、聞いたことあるぞ。

一国の主として他国に攻められたら、高潔ではいられない、嘘をつくことも約束を破ることも、敵を殺すことだって王子には必要と考えたのがマキアヴェリ。どのように善でなくなるべきかを追求。大事なのは権力を持ち続けること。悪名高き「君主論」を実際には政界でも実行しているではないかと言う者もいる。

フィレンツェ生まれのマキアヴェリフィレンツェの7マイル南の農場で、この本を書いた。16世紀のイタリアは危険な場所。外交官に任命されると、旅すがら王や皇帝、ローマ法王などと面会したが、彼らには目もくれず、法王アレキサンダー六世の嫡子である非情な Cesare Borgia にのみ影響を受けた。敵を欺き殺戮し、イタリア全土を制した男だ。マキアヴェリによると、ボルジアがやったことはすべて正当で、負けたのは不運だったからと。たまたま襲われた時に病を患っていたのだと。マキアヴェリもまた同様に不運に見舞われた。

かつてフィレンツェを治めていた超富豪のメディチ家が返り咲き、マキアヴェリは反逆の科で牢獄に入れられが、仲間が処刑される中、彼は拷問に耐え、自白せず、釈放される。政界からは追放され愛する都に戻ることも許されなかったが、田舎でかつての哲学者たちに思い馳せ、指導者としての最善な方法が何であるか、議論を交わしていた。「君主論」は力ある者や政治家の助言者などに大いに受けた。そのおかげで、彼はフィレンツェに戻れるはず、真の政治の浮き沈みにも関わることとなろうはずだったが、夢は叶わず、作家としての人生を全うする。戯曲も成功し、Mandragola なども時に上演された。

彼の根本にある考え方は、王たるもの男らしく、豪胆であらねばならないというもの。成功は運による部分が多いが、その半分は機会に恵まれているかで、もう半分は選択の結果であるという。勇気を持って迅速に行動することで、成功の確率は上がる。運が人生の大部分を左右するからといって、被害者のように振る舞う必要はない。例え河が氾濫しても、そしてそれは防ぎようのないことであっても、ダムを築き、堤防を造れば生き残るチャンスはある。言い換えれば、準備を万端にし、その瞬間に機会を掴めば、努力しない者よりはうまくいく可能性があるのだ。

マキアヴェリの哲学は実際にあったことに基づいている。例えば彼が会ったボルジアの話。ボルジアを転覆させようとしていた Orsini家に対し、知らぬ存ぜぬを貫き呼び出し、全員抹殺。この策略をマキアヴェリは肯定する。他にも残虐なコマンダーに土地を制させておいて、いらなくなったら切り捨て、殺し、民衆の前で死体を真っ二つにして晒した話。こちらもマキアヴェリの目には男らしい行動、分別のある王がすべきことと映る。結果がよければ手段は問わない。しかし、彼が本当に見せたかったのはコマンダーを殺し見せしめとしたことが、効いたという事実だ。以降、血にまみれた事件は起こらなくなる。やり方より、この結果こそがマキアヴェリには意味があった。情けをかけていれば、ボルジアにとっても、治める地にとっても悲劇となったろう。

愛されるよりも怖れられる方がリーダーとしては相応しいというのが彼の持論だ。不利になっても裏切られることはない。性悪説。人間は信頼できず、貪欲で、不誠実。誰も信ぜず、圧力をかけて約束を守らせるのが立派な支配者。キツネやライオンのような野獣になれと。キツネはずる賢くワナを仕掛ける。ライオンの力は強大で、圧倒する。両者のバランスをとれ。幸いにも民衆は騙されやすいから、姿で判断する。誠実で優しいと見せかけて、約束を破り残酷に振る舞え。

machiavellian’ という形容詞はまさに策を駆使して思い通りにするような人への侮蔑的表現として使われる。

しかし、指導者には凡庸なよい行動は合わないと考える哲学者もいる。一国の指導者として、他国を従えるのは危険な綱渡りだ。1938年、英国のチェンバレン首相が領土拡大はしないと言ったヒトラーの言葉を信じたことは、振り返れば、世間知らずで愚かに見える。マキアヴェリなら言葉を尽くして、彼にヒトラーは嘘つきである、決して信用するなと忠告したであろう。

しかし一方で、敵となりえそうならば極端な暴力もマキアヴェリは肯定していたということを忘れてはならない。16世紀の血みどろなイタリアですら、彼のボルジアへの手放しの賛同は衝撃を与えた。いくら行使できるとしても法の範囲内だろう。制限がなければ、単なる野蛮な独裁者となってしまう。ヒトラーポルポトもアミンもフセインムガベもボルジアのテクニックを駆使していた。

マキアヴェリは自身を現実主義者と見做し、人は基本的には自己中心的であるとした。

なーんか悲しいサガですな。

悪の王様。に憧れたグレイトシンカー。

悪徳でも美徳としちゃうのね。

にしても西洋ではキツネが狡いってイメージはなんなのさ?

日本では神さまの使いなんだぞ。