CCDD’s diary

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囓る ⑥

トマス・ホッブズは英国最高の哲学者。フィットネス狂いであったことはあまり知られていない。毎朝、息が切れるまで山道を大股で素早く歩いた。アイディアを思いついた時のために、取っ手にインク壺をつけた小枝を持って歩いた。この背高のっぽで赤ら顔の陽気な口髭顎髭男は、病気がちな子供だった。しかし、大人になってからは極めて健康で、老齢になるまでテニスを楽しんだ。よく魚を食べ、ワインは少々、人に聴こえないよう閉じたドアの向こうでよく歌を歌った。そして他の哲学者たちと変わらず、とても活発に思考した。その結果91歳まで生きた。平均寿命が35歳の17世紀にあってである。

愛想のよい性格とは裏腹に、ホッブズもまたマキアヴェリと同じく人間を高くは評価しなかった。我々は皆根本的に利己主義で、死を恐れ、所有したがる。気づいてか気づかないでか、他者を力で制したがる。ホッブズの意見に反対なら、人はなぜ出掛ける時、鍵を掛けるのか。盗んでやろうと思う輩がいるからだ。人は心の中ではみな利己的で、法律や罰などの脅しが抑制力になっているに過ぎないのだ。それ故、社会が破綻し、法律や援護者がいない「素の状態」になれば、誰もが必要とあらば盗みもするし、殺人もする。資源が足らず、生き残るために食べ物や飲み物を探すことに必死になれば、殺られる前に殺るというのは実際理にかなっている。ホッブズの注目すべき記述に、社会を外れた人生というのは、「孤独で貧しく、意地汚く野蛮で、短い」とある。

国家の力を失えば、殺戮しあい、強き者も永くは続かず寝込みを襲われるやもしれない。仲間とティームになればよいとも思われるが、誰が信用おけるかもわからない。約束しても、自己の利益のため、破られるかもしれない。食物を育て、建物を建てるにしろ、信用なきところに協力なし。気づいたら刺されていたとしても、それを罰する者はおらず、いつもビクビクして過ごさねばならない。

解決法として、強大な個人や議会が権力を握ればよいとホッブズは主張する。安全を守るため「社会の契約」を結び、多少の危なっかしい自由は諦めるべき、と。「統治者」なければ地獄。道を踏み外した者には厳しい罰を与える。自分がされたいように他者を扱うという自然な法則に従わせる何かまた何者かが必要だ。

ホッブズの最も優れた本、リヴァイアサンにはその自然国家の悪夢的状況から耐えうる社会となるまでに必要とされる段階についての詳細な記述がある。リヴァイアサンとは聖書に登場する海の巨獣である。ホッブズにとってそれは国家権力の象徴だった。リヴァイアサンは丘の上に刀と王笏を持ち聳える巨人の姿で幕開ける。この姿は識別できる小さな人々から成り立っている。頭に冠を掲げる巨人は統治国家の巨大権力を表し、この統治がなければ、個人個人がバラバラとなり、生き残りをかけて互いを粉々になるまで引き裂き合うのだ。

安全は自由よりも重要である。死への怖れにより人は協力し、平和を求め、社会を形成する。互いに社会的契約を結び、法で縛られる。闘い合うより統治された方が豊かに生きられるのだ。

ホッブズはスペイン艦隊がイングランドに向かって侵攻しようとしていた時期に未熟児として生まれた。後のイングランド内戦時にパリに逃れ、リヴァイアサンを書き、1651年に出版後、帰国した。イングランドが無秩序状態に落ちていく恐怖を後年に著している。

ホッブズも当時の他の哲学者に漏れず、ルネッサンスの男で、幾何学や科学や古代の歴史に興味を持っていた。若い頃は文学を好み、著書や訳書もある。哲学は中年になってから手をつけたが、物質主義で、魂の存在を否定し、究極に複雑な機械である肉体のみを信じていた。17世紀、時計仕掛けが最も発達したテクノロジーであったが、ホッブズは筋肉や内臓もそれと同等のものと信じ、行動を起こすための「バネ」や駆動するための「車輪」について頻繁に記した。人の存在のあらゆる側面、思考することですら、身体的行動と確信していた。現代の科学者たちの持つこのような考え方は当時は過激だった。神ですら、大きな身体を持つ物体と主張したので、隠れ無神論者と指摘する者もいた。

王であれ女王であれ議会であれ、ホッブズは社会の中の個人を支配する力にこだわりすぎていた。市民に対し無制限の力を持つ権威である。平和が好ましく、暴力的死の恐怖が平和を守る力に屈する動機づけとなると。個人や組織に力を持たせすぎるのも危ういが。

彼は民主主義を信じなかった。つまり、人々が自分で決断を下す力を信じなかった。20世紀に独裁者によってなされた惨劇を知っていれば、考えも変わっただろうか。

同時代のルネ・デカルトは彼とは対照的に、肉体と魂は全く異なるものとした。それ故、ホッブズ幾何学が得意なデカルトのような奴は、哲学ではなく幾何学に徹していればよいと考えたのだ。

ふぅん。

秩序の大切さは確かだが、行き過ぎてもね。そこに自由意志はなくなり、管理されまくる…。

しっかしリヴァイアサンの絵表紙は相当インパクトあるゎ。