CCDD’s diary

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チェの奥さん Aleida March その⑤

ラ・カバーナ要塞でチェはカリスマとしての有能な才能を発揮し始めていた。チェの到着以降、要塞は読み書きできないゲリラ兵に次なるチャレンジをさせるための幹部学校となっていった。シエラ・マエストラの様に工場やワークショップも建てられ、Cabana Libre という雑誌も創刊され、文化的議論なども推進された。詩人などの文化人も迎えてイベントが開催された。

チェは日常の仕事以外にも革命戦争を振り返り分析したりし、国家解放の苦悩や理念を伝えることに心を砕いた。チェの演説は彼を知識人の位置まで押し上げた。マルクス主義の観点から革命を説き、反乱軍を鼓舞する。詳述された記載は後々彼の遺産となる。

バチスタの逃げ損ねた部下たちの裁判に追われる。これはきちんと手続きを踏んだもので、決して無慈悲だったり、気まぐれで行なっているものではない。人道的手法で囚人たちを扱った。しかしチェは裁判にも処刑にも立ち会わなかった。

アレイダの仕事も切りがなかった。チェの指示に従い、兵士の要望や個人的な問題にも立ち入り、チェにインタビューをしにハバナを訪れる要人やジャーナリストの対応もしなくてはならなかった。チェの側近でいることは妬みの対象となった。ボディガードやアシスタントたちの妻たちのケアもしなくてはならなかった。

Las Villas を解放した地下戦闘員たちは自分たちをコミュニストと見做していた。ドミニカ共和国生まれの伝説的革命家でキューバ独立のために身を賭しスペイン人と闘った Maximo Gomez のような前戦闘員のように、チェもキューバ国籍を宣言した。

前の住人が置いていった戦闘員嫌いの犬を飼うことになった。後にTararaに移った時も一緒に連れて行き、死ぬまで共にいた。

アレイダは会計係として、兵士達に休暇には10ペソ渡していた。チェの書簡も管理していた。中には前妻 Hilda 宛てに正式に離婚を申し出るものもあった。苦闘の中出会ったキューバの女性と結婚したいと書いてあったが、文字が読みにくく、この女性は誰かと尋ねたら、驚いた顔をして、君だ、と答えた。その時点まで、結婚の話などなかったのである。青天の霹靂で声を失った。

チェを溺愛し、偶像化する叔母の書簡。ヒルダと離婚し、アレイダと結婚する旨伝えると、寡頭制アルゼンチンの偏見を映し出すかのようなトーンで、「ど田舎の娘」と軽蔑的に書いてきた。心からの気持ちだったのだろうが、彼女には屈辱的だった。その後、空港で両親に会った時、チェの父親が最初に放った言葉は、これが「ど田舎から来た娘」か?だった。

もうその頃には、2人の関係は変わっていた。サン・アントニオ・デ・ロス・バノスへの1月の旅では、後部座席に座り、チェは初めてアレイダの手をとった。一言も話さなかったが、心臓が飛び出すかと思うくらいドキドキしている彼女は、もう間違いなく恋に落ちていた。

ある1月の夜、ラ・カバーニャのアレイダの部屋にチェが訪れ、2人の強い結びつきは確実なものとなる。チェはその時のことを冗談混じりに「要塞が陥落した日」と呼ぶが、適切な表現だと思う。要塞を落とすにはまず取り囲み、弱味を把握し、攻撃するから。知らず知らずのうちにアレイダは彼の手中に落ち、抵抗する間もなく「降参した」のだ。

両親に空港で会った時からチェは溢れる喜びを隠しきれずにいた。アルゼンチンを離れて6年近く経っていた。

両親を連れ、サンタ・クララやエル・ペドレロを訪れた。チェがアレイダをジープに迎え入れ、「何発か銃弾を放った」場所、彼女の人生においての決定的瞬間だった。

以上 六章 まだまだ途中。

つづく。