CCDD’s diary

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Native English Teachers

いろんな学校行ってるので

いろんなネイティブの先生方と接触してきたわけで…。

中でも思い出深いのは

アフリカンアメリカンでアメフト部とかも持ってた先生、もはや同士と言える。生徒や同僚の気持ちを重んじる人。女好きではあったけど笑例え話とか上手でユーモアたっぷりに生徒を惹きつけてた。オバマが大統領になった時、電話越し泣いてたねー。だって苦労してるもん60〜70年代のデトロイトで。

同じ学校にいたシアトル近くの島、オーカスアイランド出身の先生。シャチ島⁈暮らしぶりはヒッピーに近かった。プラスティック製品に嫌悪感を抱くような。人ん家のゴミから宝物、写真とか家具とか食器とかみつけてきて使ったりあげたり、房総の海沿いにセカンドハウス建てて週末過ごしたり、奥さんと子ども置いてふらっとラオスとか行っちゃったり。授業は上手いんだけど、その勝手さは言動にもでちゃって、生徒と揉めたりTTやってて不快な思いしたり、チョー面倒なタイプだった。けど、鉄鍋くれたり、その別荘に招いてくれて、庭でとれたミントティーとか奥様が淹れてくれたり。今じゃ丸くなったって本人言ってたけど…?

ユダヤ系のアメリカ人、おもろキャラ。韓国人の奥さんとの結婚式、2人で足でグラス割ってたなー。同時期にいたお坊ちゃんタイプの方は大使館勤めに変わり、ガールフレンドのために料理から洗濯から何でもやってあげちゃうタイプだったけど、最後はほぼストーカーされてたな。友に紹介したら、彼は言葉がブラザーじゃないロスの金持ちエリア出身で育ちが良いと言われた。

サーカスティックな英国人たち。ひとりはよく足を机に上げて読書してたな。もひとりはニューキャッスル出身で、聞き取りにくい英語で、でも愛嬌があってExtensive Reading とかの論文とかおもしろくて、アイリッシュパブにみんなでよく行ったな。学生の頃の教師は厳しくて鞭打ちの刑とかあったそうな怖っ。若いほうの先生は穏やかで話しやすく、キャニオニングとかやるようなアウトドア派だったな。

またちがう学校のイギリス人はリバプールからケントに移って、クラフトビールに関するブログが記事となって取り上げられて、ちょっと違った角度からの考え方や絵の描き方やアーティスティックな感じが好きだった。

クルーカットのオーストラリア人はちょっとしたエロ話で生徒受けしてたな。家族に大切にされてたよね。

アメリカ人でも穏やかな性格の先生、英検の問題とか作ってた。

アメリカ人でNHKの仕事とかしてて仏教にも造詣の深い、大阪弁を駆使する先生は、オヤジギャグをめっちゃ繰り出すんだけど、知識人で、文章力が高く、エッセイのコメントのwittyなことと言ったら抜群だよ。Editor 兼 Writer だな。

女性のアメリカ人の先生は音楽プロデュースとかやってて日本のバンドを海外に紹介したり、海外からバンドを呼んできたり、SNS使っていろんな人とコネクトして、学校の部活とかにも呼んだりして。頭が切れるし、考え方もモダンでいろんなこと教わったけど、アンガーマネジメントができてなくて、けっこう面倒見ることも多くて、アメリカ人同士の論争にはもはや頭が痛く。

それを見守るmediator 的存在のカナダ人は、人の気持ちを慮る日本社会に馴染んだ人で、切り盛り上手。子どものサッカーの付き添いとかもたいへんそうだが、気分転換に専任の先生とテニスとかしてる。キッズの扱い上手いし、マテリアルの作り方も授業回しも素晴らしい。

新たに知り合ったアメリカ人、Philly 出身、は飼ってたカメ、名前はラフ、ラファエロね、浴槽に入れてたら彼女が怒って生物部に寄付したって。🐢もはやデカイぞ。ゲームオタクでマーベル好きで、ぜったいアラジンよりスパイダーマンって言ってた。授業はポイント制らしい。声も通るし、頭の回転速いから、組んだことはないけど、きっとテンポのあるリズミカルな授業で生徒を惹きつけるのだと思う。

また何か思い出したらレポートしようっと。

個人情報漏れない範囲でね。